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神戸地方裁判所 平成5年(行ウ)8号 判決

原告

社会福祉法人陽気会

右代表者理事

松端利昌

右訴訟代理人弁護士

木村奉明

被告

兵庫県地方労働委員会

右代表者会長

元原利文

右指定代理人

本田多賀雄

被告補助参加人

全国一般労働組合兵庫地方本部

右代表者執行委員長

森下貞雄

右訴訟代理人弁護士

分銅一臣

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用(参加費用も含む。)は原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が兵庫県地労委平成元年不第一号事件について平成五年三月二日付けでした命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二事案の概要

一  前提となる事実

以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠(〈証拠略〉)及び弁論の全趣旨により容易に認められる。

1  当事者等

原告は、精神薄弱児施設「おかば学園」(以下「おかば学園」という。)、精神薄弱者授産施設「陽気寮」(以下「陽気寮」という。)精神薄弱者更生施設「よろこび荘」(以下「よろこび荘」という。)及び精神薄弱者授産施設「みのたに園」(以下「みのたに園」という。)の四施設を運営する社会福祉法人である。

補助参加人は、兵庫県下の一般・中小企業に勤務する労働者で組織されている個人加盟を原則とする合同労組で、平成五年三月、支部数約八〇、組合員数約四二〇〇人を擁していた。

田辺武雄(以下「田辺」という。)は、原告の職員であったが、昭和六三年三月ころには、補助参加人に加入しており、本件火災後の組合活動の充実を目指していた。

2  陽気会労組の結成

昭和六〇年一二月、「陽気会労働組合」(以下「陽気会労組」という。)が結成され、同月二六日付けで、原告と陽気会労組間に労働協約が締結された(以下「本件協約」といい、右同日付けで作成された協定書を以下、「本件協定書」という。)。

3  火災の発生

昭和六一年七月三一日深夜、火災が発生し(以下「本件火災」という。)、陽気寮の建物(以下「本件建物」という。)が焼失し、当時の入寮者のうち八名が死亡した(以下「本件火災」という。)。

本件建物は、本件火災の被害にあったよろこび荘建物と共に昭和六二年六月に再建された。

4  本件指示

原告は、昭和六三年二月二四日、田辺に対して、文書により、「(1) 本日から当分の間、夜間勤務を免ずる。(2) 本日から当分の間、公用車の運転を免ずる。(3) 火災事故報告書の再提出を命ずる。」という業務指示を出した(以下「本件指示」という。)。

5  陽気会支部の結成

陽気会労組は、執行委員会において、全国一般労働組合に加入することにし、陽気会労組の組合員が、それぞれ個人加盟の手続きを取った後である昭和六三年三月一六日に全国一般労働組合陽気会支部(以下「陽気会支部」という。)結成大会が行われた。

6  本件解約通知

原告は、同年一二月九日、陽気会支部に対して、本件協約の解約を通知した(以下「本件解約」という。)。

7  本件命令の発令

被告は、補助参加人の申立てにより、兵庫県地労委平成元年不第一号事件について、平成五年三月二日付けをもって別紙(略、以下同じ)のとおりの救済命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令の写しは、同月六日、原告に交付された。

二  原告の主張

本件命令は、次に述べるとおり、事実の認定及び判断とも誤っており違法であるから、取り消されるべきである。

1  本件指示が不当労働行為に当たらないことについて

(一) 本件火災後、本件指示がされる直前の昭和六三年一月二〇日ころまでの間、陽気会労組から原告に対する団交等の申し入れが全くなかったため、原告は、組合活動の存在について全く認識しておらず、したがって、原告は陽気会労組の存在を失念しており、組合対策を取らなければならない事情は存在しなかった。

すなわち、陽気会労組結成当時は、半年間に七回の団交が持たれたが、本件火災以後一年半の間使用者と労働組合という関係での接点はなく、原告に役員改選の事実も知らされていなかった。

また、昭和六三年一月二七日の全体職員会議においても、午前中の会議において組合問題は全く言及されておらず、陽気会労組結成当時、使用者において組合を嫌悪している事情は窺われない。

(二) 本件指示当時、陽気会労組の組合員数は、結成時四〇余名であったのが数名にまで減少しているが、それは組合内部の事情であり、原告が組合脱退を働きかけたことはない。

本件火災の一ヶ月後に委員長が退職し、さらに、火災後の後片づけを手伝っている組合員に対し、田辺らの「時間外労働になるし手伝うべきではない。」とする組合指示に反発した組合員の組合脱退が相次ぎ、委員長が退職するころには組合員総数は、五、六名程度に減少していた。この人数は、本件指示当時も変化がなく、原告が組合潰しをする必要がなかった。

原告代表者の身内が、田辺の身内等に働き掛けたという事実を認定し、原告による組合攻撃があったとする本件命令には事実の誤認がある。

(三) 本件火災時の行動について、火災当夜、陽気寮生活指導員として宿直勤務についていた田辺の報告は変遷しており、田辺を目撃した他の職員の供述と相違している。すなわち、本件火災時に田辺が陽気寮を退出した際に残留者がいた可能性があったにもかかわらず、退出するときの状況について正確な報告をしなかったばかりか、その後自身の担当で本件火災によって死亡した七名の寮生に対する救助活動等について虚偽の報告をしていた。

また、田辺は、昭和四二年四月一日から昭和五六年一二月末日まで、高知県の精神薄弱者施設の施設長兼理事長であったときに入所者の死亡事故に関し虚偽の報告をして施設長及び理事長の職を解任されていたほか、自己の経済的利益を図り有印私文書偽造等に該当する非違行為を働いていた。これらの事実に関する経歴詐称問題を理由とする別件の懲戒解雇無効確認等請求事件においても、田辺はその供述内容を転々とさせている。

以上の事実があるにもかかわらず、本件命令が田辺の供述の信用性について一顧だにせず、労使関係の事実認定に田辺の供述のみを採用して事実認定をしたことは違法である。

原告が田辺に対して行った本件指示は、本件火災時の寮生に対する救助活動の内容について原告代表者らが田辺に追及したところ、田辺は「(自分は)メニエール病でありよく覚えていない。」と答えたため、メニエール病であるならば夜間勤務や自動車運転業務に就かせることは危険であると判断したからであって、不当労働行為意思は存在しない。

2  本件協約の解約が不当労働行為に当たらないことについて

(一) 陽気会労組と陽気会支部の同一性の不存在

陽気会労組は、原告職員の過半数を擁する企業内組合であったが、補助参加人は全国組織の横断的労組であり、陽気会労組とは全く組織を異にする。したがって、原告が陽気会労組と締結した本件協約は、補助参加人の一支部である陽気会支部には承継されず、原告が、陽気会支部に対して解約通知を出したことは、法的には無意味なことである。

それにもかかわらず、陽気会労組と陽気会支部との法人格の同一性を認め、本件協約が、原告と陽気会支部との間に承継されるとした本件命令は違法である。

(二) 協約の内容からする本件協約の承継の不存在

本件協約中には、唯一交渉団体約款及び事前協議同意約款等が存在するが、これらは企業内組合との間でしか意味をもたないものもあり、これを参加人組合との間に承継されるとした本件命令は違法である。

(三) 本件協約の承継についての合意の不存在

本件命令は、昭和六三年八月二四日の団交において、本件協約が陽気会労組から参加人組合に承継される旨の話し合いがあったとするが、企業内組合との間でしか意味をもたないような協約が承継されるはずはなく、理事の発言をとらえて承継の合意があったとする本件命令には事実誤認がある。

(四) 原告が本件協約の解約通知をしたのは、労働協約は三年経てば解約できると軽信したからにすぎず、不当労働行為意思は、存在しない。

3  謝罪文交付命令の違法

本件命令において、原告に対し、命令書写し受領後一週間以内に謝罪文を組合に手渡せとされているが、行政処分の取消の訴えの提訴期間は三〇日であり、提訴は命令に対する執行停止の効力を有しているのであり、その期間中に作為を命ずる内容である本件命令は、法の趣旨に違反し違法である。

三  被告の主張

1  原告は、本件命令には、事実誤認と法令解釈の誤りがあるとして、その取消を求めているが、被告に提出された全証拠から判断すれば、本件命令の事実認定及び法律判断は正当であって、本件命令は取り消されるべきものではない。

2  本件命令主文第3項について

行政処分の取消の訴えの提起が同処分の執行停止の効力を有しないことは、行政事件訴訟法二五条により明らかであり、また、本件命令主文にいう「一週間」は、謝罪文交付の履行を猶予する期間にすぎないものと解すべきであり、行政訴訟の提訴期間の前後を問わず、謝罪文交付の義務は消滅するものではない(最判(ママ)昭和六〇年七月一九日労働判例四五五号四頁)から、本件命令には違法な点はない。

四  補助参加人の主張

1  本件火災発生以後、陽気会労組は、組合活動を自粛していたが、その理由は、労使一体となって陽気寮の再開に当たるべきであるという兵庫県の指導によるものであり、このことは原告自身認識をしていた。組合が活動を自粛していた間も、原告は組合員に対して脱退強要を行なっているし、組合活動を再開すべく、組合において団体交渉を申入れた際にも、その回答指定日までに前記の全体職員会議が開催され、田辺に対する嫌がらせがなされている。

2  組合員が減少したのは、原告の脱退強要等の不当労働行為の結果である。脱退強要や嫌がらせ等の不利益取扱いは、田辺のみならず、他の組合員に対してもなされたのであり、この点からも本件命令には何ら違法性はない。

高知県の福祉施設で、入所者が職員の運転するトラックから落下をして死亡した事件については、その職員の生活状態・家族構成等などから、同僚の職員らが歩行中の事故であるとして当該職員の救済を決定していたため、田辺はそれへの同調を求められて虚偽の報告をしたのである。

原告は、田辺が虚偽の報告をしたことにより施設長を辞していることを知った上で雇用したのであり、また、田辺は、右報告が虚偽であることが判明した後に、自ら施設長の職を辞したのであって、解任されたのではない。したがって、経歴詐称の事実は存せず、田辺の供述の信用性に疑問はない。

3  昭和六三年一月三〇日付けの原告側の組合要求に対する回答中に、自動車運転業務については、「運転手当は支給しません。運転手当を要求される方は無免許者と考えますので、以後運転しなくて結構です。」とあり、また、夜勤業務については、「夜勤に不満があり、入所者の安全確保に自信がなく、処遇の万全の出来ない職員は申し出て下さい。夜勤からはずさせて貰います。」とあることからすると、本件指示は、陽気会支部の要求に対し、その委員長である田辺から、右各業務を奪うことを意図したものである。

4  田辺自身が自分はメニエール病であると言ったわけではなく、煙に包まれた陽気寮から出てきたときにふらっとしたこと、以前にメニエール病の疑いがあると言われたことがあると、昭和六三年一月二七日の全体職員会議で言っただけである。

田辺が、メニエール病ではない旨の診断を原告に送付した後も、本件指示は変更されなかったのであり、本件指示は、メニエール病を理由とするものではない。

5  原告は、陽気会労組と陽気会支部とは組織を異にしているので、原告と陽気会労組との間で締結された労働協約は承継されないという主張をしている。しかし、陽気会労組は、その組合員全員が、原告からの度重なる脱退強要等の嫌がらせに対抗するために、補助参加人に加入し、陽気会支部を結成したものであって、原告と陽気会労組との間の協約は当然承継されたというべきである。

陽気会労組が、補助参加人の支部となった後の第一回の団体交渉においても、従前の協約の承継については、原告と陽気会支部との間に合意が成立している。

6  原告は、協約中、唯一交渉団体約款及び事前協議同意約款は、その内容からして企業内組合との間でしか意味を持たないとの主張をするが、合同労組である補助参加人と使用者との間で唯一交渉団体約款、事前協議同意約款を締結することは、法的になんら問題がなく、現実にもされていることである。

7  本件労働協約の解約は、解約がされた時期や当時の労使の対立状況からみて不当労働行為であることは明らかであって、この点についての被告の判断にも何ら誤りはない。

五  争点

1  原告が、昭和六三年二月二四日付けで田辺に対し、夜間勤務を免ずる等の本件指示をしたことは、労働組合法七条一項(ママ)一号の不利益取扱いに当たるか。

2  原告が、昭和六三年一二月九日に陽気会支部に対してした昭和六〇年一二月二六日付労働協約の本件解約は、労働組合法七条一項(ママ)三号の支配介入に当たるか。

3  本件命令のうち謝罪文の掲載を命ずる主文第3項は違法か。

第三争点に対する判断

一  本件指示に至るまでの経緯等について

証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  陽気会労組結成まで

原告の職員である田辺、谷口洋一(以下「谷口」という。)、植村真一(以下「植村」という。)及び赤井英昭(以下「赤井」という。後に退職した。)の四名は、昭和六〇年五月ころから、赤井宅で原告の従業員の労働条件改善のために組合を結成する準備をしていた。

原告の職員らの有志四二名は、同年一二月一八日、陽気会労組の結成大会を開き、執行委員長に赤井を、副執行委員長に谷口を、書記長に植村を、会計に田辺をそれぞれ選出し、神戸地区労働組合協議会(以下「地区労」という。)に加盟した。

赤井、谷口らは、翌一九日に、原告代表者に対し、組合結成の事実を文書で通知するとともに、要求書を提出し、団体交渉の申入れを行った。

2  結成後の労使交渉

第一回目の団体交渉は、同月二六日に行われ、原告と陽気会労組との間で、陽気会労組を原告における唯一の労働組合として原告が認めること、労働条件に関する諸事項は、今後すべて陽気会労組と協議の上実施すること、人事異動については同組合と協議し合意の上実施すること等、八項目にわたる本件協約を期間の定めなく締結した。

右第一回団体交渉以降、翌六一年五月一日までの間に、原告と陽気会労組との間で合計七回の団体交渉が行われ、施設利用についてやチェック・オフ協定、ユニオンショップ協定について話し合われた。他方、右団体交渉の間に組合員に対し、次に述べるような脱退強要や嫌がらせが原告側の人間によって行われたことから、第七回の団体交渉において、陽気会労組側が右各行為について抗議を行った。

3  その間の脱退強要・嫌がらせ

田辺の実弟である佐々木日出男は、昭和六一年二月一四日、田辺宅を訪れ、田辺の姉であり原告代表者の妻である松端きみゑ(以下「きみゑ」という。)に頼まれたとして、田辺に対して、組合活動をやめろ、やめなければ職場を去れと言った。

きみゑは、同月二三日、電話の応対に出た田辺の長女に対して、田辺の組合からの脱退と原告からの退職を強く勧めた。

さらに、田辺の姉である佐々木富子は、同年三月八日、きみゑとともに田辺宅を訪れ、応対に出た田辺の家族に対して、田辺の陽気会労組からの脱退と原告からの退職を強く勧めた。

また、同年四月には、何者かによって、原告の敷地内に駐車していた田辺の使用する車のタイヤのナットがはずされたり、赤井の使用するタイヤのナットにいたずらがされた。また、組合員が使用する車のタイヤがパンクさせられたりすることがあったため、有馬署に被害届を出した。

原告の職員である朝日筆幸(以下「朝日」という。)は、同月二六日、組合が朝日を非難しているとして、田辺に対して暴行を加えた。田辺は、朝日のこの暴行によって全治一週間の頸部捻挫を負った。このときに、田辺は、原告代表者の長男の孝仁(以下「孝仁」という。)と三男の克文(以下「克文」という。)から、組合からの脱退と原告からの退職を強く勧められた。

4  本件火災の発生

昭和六一年七月三一日午後一一時四〇分ころ、陽気寮二階から火災が発生し、陽気寮建物は全焼、隣接するよろこび荘は半焼し、陽気寮内にいた寮生六一名のうち八名が焼死した。田辺は、本件火災当夜、陽気寮二階で当直勤務にあたっていた。本件火災によって焼死した八名の寮生のうち七名が、田辺の担当している寮生であった。

5  本件火災後の組合の活動

陽気会労組は、本件火災後、火災の事後処理と陽気寮の再建等を優先させるため、原告との団体交渉や原告に対する要求行動等の組合活動を当分の間自粛し、月二回程度の学習会活動を中心に行うこととし、この活動方針を昭和六一年一一月一九日開催の陽気会労組の通常大会で確認した。この大会においては、右活動方針の確認のほかに、赤井の退職に伴う役員改選を行い、執行委員長には田辺を、副委員長には谷口を、書記長には植村をそれぞれ選出した。陽気会労組は、原告に対して、役員が改選されたことについて連絡しなかった。

陽気会労組は、昭和六二年六月一日に陽気寮が再建、再開されたことから、組合活動を再開することとし、同年一一月、定期大会を開催し、原告に対して職場の民主化等の要求をしていくことを決定した。右大会においては、執行委員長には田辺を、副執行委員長には、谷口と植村を、書記長に豊留をそれぞれ選出した。この改選についても、陽気会労組は、原告に対する連絡をしなかった。

陽気会労組は、昭和六三年一月二〇日、右定期大会で決定された原告に対する要求をまとめ、現行夜間勤務体制の改善、運転手当の支給等合計一〇項目の要求事項について回答指定日を一月三〇日とする要求書を原告に提出した。

陽気寮における夜間勤務は、従前の宿直勤務を廃止して、昭和六一年一一月一日から実施されるようになっており、月四、五回、午後一〇時から翌朝六時までが勤務時間で、一回の夜間勤務で五〇〇〇円の夜間勤務手当が支給されていた。公用車の運転は、必要に応じて運転免許証所持職員が適宜行っていたもので、手当は支給されていなかった。

原告は、回答期限である同月三〇日、陽気会労組に対し、右要求書に対し、書面で回答した。その内容は、夜勤体制の改善要求に対しては、「夜勤に不満があり、入所者の安全確保に自信がなく、処遇の万全の出来ない職員は申出て下さい。夜勤から外させてもらいます。」というもので、運転手当の支給要求については、「支給しません。法人(原告)の職員に運転手という職員で採用した人はありません。指導員・保母で運転免許所持者が、入所者の処遇上必要の都度運転をしてもらっていますが、通常の養護指導の業務として考えています(通院・買物・無断外出捜査・職業指導・余暇指導・ドライブ等々)。運転手当を要求される方は、無免許と考えますので、以後運転をして頂かなくて結構です。」というものであり、その他の事項についても、要求のうち数項目は職員会議で協議したいというものであり、陽気会労組との協議を拒否した。陽気会労組は、組合掲示板の設置要求を除いた他の要求は、無視ないし軽視されたものと受け止めた。

原告は、右回答書中において、「貴組合への申し入れ書」と題して、組合員名簿の提出、組合活動を取り違え原告の品位や名誉を損なう行動を慎むこと等五項目の内容の申入れを行った。

6  火災の際の田辺の救助活動についての原告側の追及

昭和六三年一月上旬、新聞等が本件火災については放火の疑いがあると報道した。そこで、原告代表者は、同月中旬ころ、右報道に対する対応を原告の理事や本件火災後設けられた原告の幹部職員等で構成する保安委員会のメンバーと相談した。その結果、本件火災の調査について、同月二七日に全体職員会議を開催して、田辺ら七名が、昭和六一年九月ころに提出した火災事故報告書及び火災事故顛末報告書に対する疑問点に関する事情を同人らから直接聴取することに決定した。

右全体職員会議の開催は、陽気会労組が前記要求書を原告に提出した日である同月二〇日ころ最終的に決定されたが、田辺ら組合員を含む一部の職員が、右会議の開催を知ったのは、会議開催の前日であった。

右全体職員会議は、前記要求書の回答指定日である一月三〇日より前の同月二七日、おかば学園講堂において行われた。参加人数は、職員ら四、五〇名で、午前八時三〇分から同日午後六時三〇分まで行われた。

午前中の会議では、井上理事が司会をして、本件火災当日の宿直者七名(以下「田辺ら七名」という。)が提出していた報告書を一人一人朗読させた上、原告代表者ほか保安委員会のメンバーが中心になって、田辺ら七名に質問をするという方式で行われた。質問の中心は、本件火災の際に田辺がした救出活動に対する疑問についてであった。

午後の会議では、宮本理事の司会により、午前中と同じ方式で行われた。質問の内容は、午前中と同様田辺の救出活動についてであり、田辺の回答内容をめぐって議事が紛糾するなか、会議は終了した。

右会議において、田辺は、陽気寮北側の屋外階段から脱出するときに、ふらっとしたこと、火災の二か月前に自動車で走行中同じようにふらっとしたことがあること、病院でメニエール病のような診断を受けたことがあることを火災について警察の事情聴取を受けた際に供述したと発言した。

田辺の右発言に対して、会議に出席した職員から田辺と一緒に夜間勤務に就くことは不安であるという意見が出されたため、原告代表者は、田辺に対して、当分の間夜間勤務から外すと述べた。

田辺は、翌二八日、原告代表者に対し、全体職員会議の内容を文書にしたものがほしいと電話で申し入れた。これに対して原告側は、同月三〇日、田辺に対して、右会議で出た田辺に対する質問事項を書面にまとめ、回答日を二月一二日と指定して、田辺に真実を回答するようにと要求するとともに、田辺の回答を待ったうえで職員会議を行うと通知した。

全体職員会議の後、「火災事故の真相をただす会」が、仲陽気寮長・藤原よろこび荘長・朝日ら保安委員会のメンバー及び原告代表者の七名で発足した。この会は、原告の費用で運営されており、その会報には、本件火災時の田辺の責任を追及する記事が掲載されていた。

翌三一日の職員朝礼において、朝日が、田辺に対し、全体職員会議の際の田辺の回答では納得できないと述べた。田辺は、朝日に対して、警察で聞くように等と言って退室しようとしたところ、入り口付近にいた職員らに出口をふさがれ、口論となった。このとき、原告代表者は朝礼に出席していたが、職員らの右行動を制止しなかった。

右同日、原告代表者と朝日は、田辺の右発言を受けて、有馬署に赴き、同署において田辺の供述内容を確認しようとしたが、捜査の秘密であると言われ、内容を知ることができなかった。その際に、原告代表者らは、応対に出た刑事課長から、本当にメニエール病であるとわかっているのであれば、田辺に車を運転させるのは問題があるのではないかと言われた。

田辺から右経緯について報告を受けた補助参加人の組織本部長である阪本修(以下「阪本」という。)は、同年二月一日、原告に対して抗議するために原告を訪れたが、原告代表者への申し入れの最中に職員らに取り囲まれ、田辺や陽気会労組に対する抗議や苦情を受けた。

田辺は、翌二日、仲寮長を通じて原告代表者に対し、正常な状態に戻るまで朝礼には出席しないことを申入れ、同月二四日までの間、朝礼に出席しなかった。また、田辺は、同月六日、原告からの前記質問書に対し、回答を差し控えるという書面を提出した。

そして、田辺は、夜間勤務の引継ぎの際に使用される夜間日報を、原告に提出していたが、引継ぎの場には出席しなくなった。

同月初旬、全体職員会議において原告代表者が、田辺には夜間勤務をさせないと述べたにもかかわらず、田辺が夜間勤務を継続していることに反発した保安委員会の川本、朝日が発起人となり、孝仁らとともに、田辺の夜間勤務を免じることを原告代表者に求める署名活動を開始した。川本らは、同月四日、原告代表者に具申書を提出した。

阪本は、原告代表者らとの間で原告側の田辺に対する行動について、昭和六三年二月二四日に再度話し合いをする約束をしていた。

7  本件指示

原告代表者は、同月二四日、朝礼後、田辺を保安室に呼び出し、井上理事と仲寮長とを同席させて、書面で夜間勤務免除等の業務指示(本件指示)を行った。右書面には、本件指示の理由として、原告としては、本件火災当日の田辺の救助活動に疑問があること及び田辺がメニエール病に罹患していることがあげられていた。田辺は、原告代表者に対し、メニエール病という診断を受けたことはないと抗議し、改めて医師の診察を受けたうえで、診断書を提出すると述べて業務指示書を受け取った。

原告は、本件指示を行うに当たって本件労働協約に基づく事前協議を行っておらず、また、本件指示の前後を通じて田辺にメニエール病に罹患しているかどうかを確認するための病院への問い合わせや、同人への受診指示等を行っていなかった。また、本件指示まで田辺において病気が原因と思われる症状で夜間勤務や公用車の運転に支障をきたしたようなことはなかった。

8  本件指示後の田辺らの行動

田辺は、本件指示後、北都病院及び細見耳鼻科医院で各種検査を受け、メニエール病の症状所見は認められないという診断を受けた。

田辺は、原告に対し、弁護士を通じて、同年三月三日付けの書面で、本件指示についての釈明を求めた。また、田辺は右書面において、メニエール病の症状所見は認められないとの診断書を添付し、メニエール病には罹患していないこと、火災当日の救助活動に疑問があるだけで本件指示をなし得るとする根拠が不明であることを主張するとともに、直ちに本件指示を撤回するよう求めた。

これに対し、原告は、田辺に対して、同様に弁護士を通じ、同年四月一日付けの書面で、本件指示を撤回することはないこと及び報告書の再提出を強く求めた。

田辺は、原告に対し、同月二二日付け書面で再度本件指示の撤回を要求するとともに、火災当日の陽気寮北階段から避難後の行動に関する部分に限って報告を行った。黒崎及び阪本は、本件指示の撤回を求めるために原告を訪れたが、応対にでた原告代表者と井上理事は、田辺に対する非難を繰返すだけで、本件指示の撤回は認めなかった。

二  争点1について

1  前記認定のとおり、田辺は、陽気会労組の結成当時からのメンバーであり、陽気会労組の役職についていたこと、陽気会労組結成後、原告代表者の妻らが度々田辺に対して組合からの脱退や退職を強要していること、原告代表者に協力的な非組合員の職員から組合が悪口を言ったとして田辺が暴行を受けていること、陽気会労組が本件火災後である昭和六三年一月二〇日に夜勤や自動車の運転等について改善を求める要求書を原告に提出していること、この要求書に対して原告は全面拒否した上で、組合に対して、活動を非難し自制を求める旨の回答書を提出していること、同年一月二七日の職員会議で田辺が一方的に非難されたことについて補助参加人の阪本らが原告に抗議を申入れていること、このとき阪本らがかえって原告の非組合員の職員から組合の活動について非難されていること、同年二月二四日には、再度の抗議を阪本らが原告代表者に対して申入れをする予定でいたところ、同日面談が行われないうちに本件指示がされたことがそれぞれ認められる。

これらの事実に対し、原告は、労組が本件火災後組合活動を何ら行っていなかったため、役員改選の事実を全く知らされていなかったことから、原告としては労組の存在を失念していたのであり、一月二七日の全体職員会議において組合の話題が全く取り上げられていないことはその証左であると主張し、これに沿う原告代表者の審問時の供述記載がある。

しかしながら、前記認定のとおり、陽気寮再開後に陽気会労組は原告に対して労働条件についての要求書を原告に提出しており、この要求書に対して原告は回答しているだけではなく、その中で陽気会労組に対して組合活動を取り違え、原告の品位や名誉を損なう行動を慎むこと等の申入れしており、原告代表者らが陽気会労組の存在を全く失念していたとする原告代表者の前記供述記載は信用できない。

また、原告は、本件指示は、田辺が自分からメニエール病であると原告に言ったこと、本件火災の際の田辺の救助活動に不信感を抱いた他の職員が田辺と夜間勤務をすることを嫌がったことからしたものであって、被告らの主張するような不当労働行為意思はないと主張する。

しかしながら、昭和六三年一月二七日以前に田辺が、メニエール病もしくはこれに類似した病気が原因で、夜間勤務や自動車の運転に支障をきたしたことがないこと、全体職員会議後、原告側で田辺がメニエール病に罹患しているかについて病院その他医療機関に対する調査を何ら行っていないこと(有馬署に原告代表者と朝日が赴いて田辺の警察での供述内容を確かめに出向いているが、本件全証拠によっても原告が、田辺の病状についてそれ以上の調査を行った事実は認められない。)、田辺がメニエール病ではないという診断書を原告に提出した後も本件指示が撤回されていないことから、本件指示は、田辺がメニエール病に罹患していたことを理由として出されたものではなく、田辺が組合活動をしていたことが決定的な理由となって出されたものであるといわざるをえない。

2  前記5の認定のとおり、夜間勤務の手当は一回一律五〇〇〇円であり、月四回ないし五回の勤務が通常であることから、田辺は本件指示によって、一か月二万円又は二万五〇〇〇円の経済的損失を被ったといえ、他の職員に比して経済的待遇に関して不利な差別待遇を与えられたといえる。

3  そうすると本件指示は、不当労働行為意思に基づくものであって、労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱い」に当たるというべきである。

三  本件協約の解約通知に至るまでの経緯について

1  陽気会支部結成までの経緯

証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、以下の事実が認められる。

陽気会労組の組合員らは、企業内組合の活動に限界を感じたことから、大きな組織に加入して、運動の幅を広げるとともに活動への支援・協力を求めるために補助参加人に加入することを執行委員会で決定した。陽気会労組は、組合員各自が署名した加盟書をとりまとめて補助参加人組合本部に提出し、昭和六三年三月一六日、全国一般労組陽気会支部としての結成大会を開催した。同大会において、陽気会労組執行委員長であった田辺を支部委員長に、副執行委員長であった谷口を支部書記長兼会計に選出したが、原告には同年八月一〇日まで通知しなかった。

陽気会支部は、同年八月一〇日、原告に対して、陽気会支部結成の通知を行うとともに、(1)身分・労働条件の変更に関する事前協議、(2)労働基準法の遵守、(3)国民の祝祭日の有給休日化、(4)本件指示の撤回の四項目からなる要求書を提出し、団体交渉を申し入れた。右通知に際しては、支部三役の氏名は明記したが、その他の組合員の氏名は明らかにしなかった。

原告は、右要求書に対して、同月二〇日、(1)については、「ケースバイケースで処理していきます。」、(2)については、「遵守しています。」、(3)については、「現在のローテーション勤務では、できません。」、(4)については、「業務指示書は当分の間撤回できません。」と回答した。

2  支部結成後の団体交渉

陽気会支部と原告との間の第一回団体交渉は、同月二四日に行われ、右四項目について話し合われた。その際、原告理事会側は、陽気会労組と陽気会支部との同一性について何ら問題にしなかった。原告は、第一回団体交渉において、本件指示の撤回については、理事会の決定したことであるとして全く応じず、他の三項目についても陽気会支部の要求を認めなかった。

第二回、第三回団体交渉は、それぞれ、昭和六三年九月一六日、同年一〇月七日に行われた。

第四回団体交渉は、同年一一月二四日に行われ、陽気会支部は、本件指示に関し、原告が本件火災に関する民事訴訟を抱えていることを考慮して、その撤回を先送りにするにしても、田辺の実損の回復だけでもできないかという譲歩案を示した。ところが、原告は、全面拒否の態度を全く変えようとしなかったため、陽気会支部は、原告に対して、地方労働委員会への不当労働行為救済申立を検討していると伝えた。

3  本件解約

原告代表者は、第五回団体交渉の数日前に、藤原荘長らと相談した際、藤原から本件労働協約は締結から三年経てば解約できると解説書に書いてあると指摘されて、本件労働協約の解約を決定し、第五回団体交渉が行われた昭和六三年一二月九日、原告は、陽気会支部に対し、本件労働協約の解約通知書を手渡した。

これに対し、陽気会支部は、本件労働協約は解約通知から九〇日間は存続しているので、その間に具体的な対応を行うと原告に伝えた。

陽気会支部は、原告に対し、同月一二日付けで、本件解約に対する抗議書を提出し、同月二三日付けの書面で、あらためて本件協約を三年間継続することを申入れたが、これに対して原告は、回答しなかった。第六回団体交渉は、昭和六三年一二月二六日行われ、本件指示及び本件解約について協議したが、原告がその撤回を認めなかったため、陽気会支部は、原告に対し、不当労働行為救済命令の申立を行うと告げた。

四  争点2について

1  労働協約の解約通知はその私法上の効果とは別に不当労働行為に該当するかどうかが問題となる。

その前提として、本件労働協約が陽気会労組から陽気会支部へ承継されているかを検討すると、本件では、陽気会支部の結成大会は行われているものの、陽気会労組の解散手続や組織変更の手続は行われていない。しかしながら、前記認定のとおり、陽気会支部の役員と陽気会労組の役員はほぼ一致すること、陽気会支部結成の動機は企業内労組としての陽気会労組の活動に限界を感じた陽気会労組組合員が更に効果的な組合活動をするためであること、横断的労組である補助参加人に加盟することを陽気会労組の執行委員会で決定していること、補助参加人への加盟の方法が個人加盟であるため、加盟の手続は個人加盟手続書によって作成されたが、そのとりまとめは陽気会労組で行っていることが認められ、これらの事実を総合すれば、陽気会労組と陽気会支部とは同一性を有すると認めることができる。

そして、このことは、原告代表者が、陽気会支部との第一回目の交渉に臨んだ際、陽気会労組と陽気会支部とは名称が変わっただけで中身は変わっていないと認識していたこと((〈証拠略〉)、原告側が、右第一回目の陽気会支部との交渉の際に陽気会労組との関係について陽気会支部に説明を求めることなく交渉に臨んでいることからも明らかである。

2  支配介入性の判断

原告は、本件協約を解約したのは、藤原荘長が、協約締結から三年を経過すれば自由に解約できると軽信したからにすぎず、不当労働行為意思は存在しないと主張する。

しかしながら、原告代表者の審問時における調書である(証拠・人証略)によれば、原告代表者は、本件火災後の原告の再建を柔軟に行っていく必要上、本件協約中、労働条件の変更がある場合には、労組と必ず事前に協議することという条項が「柔軟な対応」の妨げになっていると考えていたこと、原告側は、本件火災後の組合の活動に反発して組合活動から離れた職員が相当数いると把握していたことが認められ、前記認定のとおり、陽気寮の再開後、組合が活動を再開して、団体交渉を求め、また、陽気会支部の委員長である田辺に対する本件火災時における救出活動に関する原告側の追及の方法について補助参加人が再三抗議を申入れていたことから、本件解約は、原告が陽気会支部の弱体化を企図してしたものといえ、組合の運営に介入するものとして労働組合法七条三号に該当する。

五  争点3について

行政処分の取消訴訟の提起は、当該行政処分の執行停止の効力を有しない(行政事件訴訟法二五条一項)。したがって、本件命令中、原告に対し田辺に対する謝罪文の交付を命じた第3項に原告の主張するような違法はない。

六  結論

以上のとおりであるから、本件命令には原告主張のような違法はなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森本翅充 裁判官 太田晃詳 裁判官 小林愛子)

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